【レポート】一軒目ポケカ千穐楽[191214]
ちょいと顔出しとご挨拶に。
一軒目ポケカとは
キャッチフレーズは「ちょいとポケカ、しませんか?」。
「平日の夜にポケモンカードをカジュアルに楽しむイベント」をコンセプトに企画されたイベントです。
運営はイベントオーガナイザーじゃら・トリバー・マヨによるユニット「ポケカ茶屋」に黒川啓太郎氏を加えた4名。
約2年間で通算44日開催され、延べ2000人を動員するイベントとなりました。
表面的な部分だけを見れば「平日の夜にポケモンカードをカジュアルに楽しむイベント」という先のコンセプトと、そこに人が沢山集まっていたという説明で事足ります。
しかし、その背景にあったもの、そして一軒目ポケカを背景として発展していったもの等の周辺事象にまで目を向けると、語るべき事柄がいくつも存在することに気付かされます。
僕自身は完全なる第三者ですし、仕事の都合もあって数回しか参加できなかったのですが、できる限りのことを記録しておこうと思います。
一軒目ポケカとはなんだったのか
一軒目ポケカの第1回は2017年12月9日。
2016年12月9日の「サン&ムーン」シリーズ発売からおよそ1年です。
当時、大人向けに打ち出された販売戦略によって実際に社会人層のプレイヤーはじわじわと増加していました。
2015年から始まったイベントオーガナイザー制度によってイベント開催のノウハウも流通していました。
一軒目ポケカの成立にはこういった時代背景があります。
そんな中で集まった一軒目ポケカの運営メンバーは、奇跡のエキスパート集団です。
その中心として、主催の1人であるじゃら氏がそのマネジメントスキルによって大きな役割を果たしていたことは傍目にも明らかです。
一軒目ポケカが開始当初から同じコンセプトを愚直に守って2年間もの間継続開催できたのも、初期段階から企画がしっかりまとまっていたからこそ。
この辺りは僕が多くを語るよりも、一周年記念として綴られたじゃらさんの手記を読んでいただくのがよいかと思います。
同じく、CSPランキングの上位にも顔を出す優秀なプレイヤーであったトリバー氏とマヨ氏。
トーナメントシーンとカジュアルシーンの両方を理解しながら人当たりもよい両名の存在は、特にデッキ診断コーナーにおいて抜群の安心感がありました。
そして、同人作家として活動していてデザイン方面に明るい黒川啓太郎氏。
似顔絵やポスター等の彼女の丁寧なアートワークが、イベント未経験の初心者達の不安を和らげるにあたってどれほど助けになったか。
受付やポスター制作等のかなり珍しいトピックについてノウハウを纏められた記事も発表されており、こちらも必見です。
仮に自分が一軒目ポケカをやる場合、彼らのうちの誰か1人の役割が自分に務まるのか。
他の3人のような誰かが力を借してくれるのか。
そして彼ら全員のようなパフォーマンスを発揮し続けられるのか。
そういったことを考えてみると、彼らがいかに奇跡的な集団であったかが理解できるかもしれません。
彼らが片手間で軽々と動かしているように見える一軒目ポケカは、彼らだからこそ動かせる重量級のイベントです。
彼らの素晴らしい働きによって、一軒目ポケカは第二次ポケカブーム前後の幾多のプレイヤーの受け皿となりました。
他のイベントに繰り出してみたり、はたまたカジュアルに遊べるイベントを自分でも企画してみたり、この一軒目ポケカを文字通り一軒目として羽ばたいていった多くのプレイヤーのことを考えると、その影響は測り知れません。
そういった意味で、ポケカ文化史(大袈裟)における一軒目ポケカは、神奈川メルロンジムや愛知金ギャラドス杯に並ぶ極めて重要な立ち位置のイベントと言えます。
「文化を作った」と言われたりもしていますが、まさにその通り。
そして千穐楽。
僕は久々の参加でしたが、この日も初めてお会いした方と楽しくポケカで遊べました。
最終回であるということを除けばほとんどいつもと同じの、あの一軒目ポケカでした。
お疲れ様でした。
バトロコ高田馬場店では、その後も夕方のジムバトル等に一軒目ポケカと同じくらい沢山の人が集まっていて、一軒目ポケカと同じくらい楽しそうにポケモンカードで遊ぶ光景を見ることができます。
一軒目ポケカは終わらない。
その後の一軒目ポケカ
しかし、その告知の中でも触れられている通り、運営チーム自体は解散しておらず、今後も不定期的にイベントを開催することが示唆されています。
2年間も走り続けた彼らに更なる期待を押し付けるのはおこがましいような気もしますが 、やはり第三者としてはこれからの活躍をどうしても期待したいところです。
ちょいとポケカでもやりながら気長に待ちましょう。
お疲れ様でした。